元ヤンキースのリードオフヒッターで、歴代最多の
通算1,406盗塁を記録したリッキー・ヘンダーソン氏が死去した。
享年65歳。
アスレチックスはヘンダーソン氏の死を「深い衝撃と悲しみ」で
受け止めたと発表したが、死因については明らかにしなかった。
「リッキーは私が一緒にプレーした中で最高の選手だった」と、
ヘンダーソン氏の元チームメイトのドン・マッティングリー氏は述べた。
「彼は試合の結果をさまざまな方法で変えることができた」
ヘンダーソン氏の知名度は盗塁のおかげで抜群に
世に知られるようになった。1980年、
メジャーリーグでの最初のフルシーズンで100盗塁を達成し、
タイ・カッブが保持していたアメリカンリーグの
シーズン記録の更新を達成。
その後20年間、9つの球団でプレーし、彼はほとんど盗塁のペースを
落とすことはなかった。
1982年には130盗塁を達成してルー・ブロックのシーズン記録118を破り、
7年連続でリーグの盗塁数トップの記録を樹立。
1991年、ヘンダーソン氏は通算盗塁記録を樹立し、
ブロック氏の記録を468も上回った。
「彼は史上最高のリードオフヒッターであり、
それに次ぐ者がいるかどうかは分からない」
と元アスレチックスの幹部ビリー・ビーン氏は語る。
ヘンダーソン氏は現役を引退後も、現役メジャーリーガーよりも
多くの盗塁数を達成できると予測していた。
「もし彼らが今40~50盗塁を達成しているなら、
僕はリーグのトップに立つだろう」
と彼は言った。
ヘンダーソン氏は1958年、シカゴで生まれ、オークランドで育った。
彼は野球、バスケットボール、フットボールで活躍し、
南カリフォルニア大学でテールバックとしてプレー
できたかもしれないほどの人気のフットボール選手だった。
しかし、母親が野球を好んでいたため、最終的には野球の道に進んだ。
ヘンダーソン氏は1976年のドラフトで地元のアスレチックスに指名され、
1979年にメジャーリーグデビューを果たした。彼は翌シーズンに
スター選手となり、その後ヤンキース、トロント、サンディエゴ、
アナハイム、ニューヨーク・メッツ、シアトル、ボストン、
ロサンゼルス・ドジャースでプレーした。
ヘンダーソン氏は1991年に通算盗塁記録を樹立し、
2年後の1993年にトロントで2度目のワールドシリーズ優勝を達成。
彼は1998年には39歳にしてオークランドで66盗塁と118四球を記録し、
ア・リーグのトップに立った。
2017年、アスレチックスはヘンダーソン氏に敬意を表して
オークランド・コロシアムの競技場を
「リッキー・ヘンダーソン・フィールド」
と名付けた。
この訃報を受けて、米球界からはヘンダーソン氏の死を悼む声が
続々と寄せられている。 偉大な記録を達成した氏の業績に、
感謝と冥福を送りたい。
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